ロバート・A・ハイラインは言わずと知れたSF界の巨匠である。『夏への扉』は海外ではあまり人気がないらしいが、日本では最も有名で「オールタイムベスト10」などの常連のメジャー作品で、何度も新版が出たり映像化されたりしている。
あらすじ
ぼくの飼い猫のピートは、冬になるときまって「夏への扉」を探しはじめる。家にあるドアのどれかひとつが、夏に通じていると固く信じているのだ。そして1970年12月、ぼくもまた「夏への扉」を探していた。親友と恋人に裏切られ、技術者の命である発明までだましとられてしまったからだ。さらに、冷凍睡眠で30年後の2000年へと送りこまれたぼくは、失ったものを取り戻すことができるのか。
Amazon.co.jpより引用
・難しいSF作品は苦手な人
・幅広いジャンルから名作を探している人
・アメリカっぽい小説が好きな人
ロバート・A・ハイラインは、アーサー・C・クラーク、アイザック・アシモフと並びアメリカのSF御三家と呼ばれ、『月は無慈悲な夜の女王』や『輪廻の蛇』など他にもSFの大作を数多く残している。コアなSFファンからすれば『夏への扉』はそれらの大作に比べてかなりライトでSF色も弱めな作品である。それにも関わらず自分のような読書初心者でも認知しているほど人気で本屋でも目につく。なぜ日本ではこれほどのメジャー作品なのだろうか。
扱っている技術が分かりやすくて教科書的
まずSF作品というと、量子力学や物理学などの難解で複雑な技術が登場し、その理解をベースに話が進んで慣れない読者のハードルになってしまうのが常だが、この作品にはむずかしい技術はいっさい登場しない。お手伝いロボットやタイムトラベル(コールドスリープ)など、子どもでも理解できるドラえもんレベルの技術で誰でも読み進められるので、SFが苦手な人でもまったく問題なさそうだなと感じた。
では何が教科書的なのかと言うと、技術をやさしく解説しているというようなことではなく、技術の話でつまずかないことで「たとえばこんなすごい技術があったら、こんなことが起こりますよ、きっと」というSF小説のおもしろパターンに誰もがスッと入れるところが教科書的なのである。
気の遠くなるような規模の宇宙戦争や、AIの暴走など、あらゆるSF小説はこの「ぶっとんだ設定や技術による“if”」が全てのスタートになる。この最初の入り口が難しすぎたり設定が独創的すぎると、すぐに理解できなくなったり、途中で話の都合がよすぎる展開やチートキャラが登場して(それをもたらすのが独創的すぎる設定で)、興醒めしたり。ということになってしまう。『夏への扉』はごく普通の(?)生活の延長上にある技術がもたらすifのストーリーが展開されるので、誰も置き去りにされない。そこがまずポイントである。
人間関係や事件の”if”にリアリテイがあって教科書的
この作品の主人公はちょっとした発明家で、その技術を盗まれてしまうところから話が始まる。ただのドラえもん的なストーリーであれば、さらに別の攻撃的な技術を開発してこらしめたりしそうなところだが、巨匠はそこで起きる事件のリアリティにこだわっている(と思う)。技術を盗んだ親友は敏腕悪徳弁護士で、主人公の元カノ(悪女)と結託して特許を申請してしまい、財産的に主人公を陥れる。実にアメリカらしい生々しい設定である。
主人公は無一文でコールドスリープして未来に跳ぶのだが、その未来の描き方も都合よく技術が発展した未来ではなく、ありえそうな”ちょっとだけ未来”を描いている。関連する人物たちの姿や状況も、30年後のリアルをちゃんとイメージできる展開が用意されている。主人公も超人的な技術などを得ることもなく、生身のエンジニアとして頭をフル回転させ、現実的な解決に奔走する。あくまでも作者自身が用意した”ちょいSFな枠”を逸脱せずに、ちゃんとリアリティを感じながら話を追えるようにできているのである。
この作品は当初、少年向けのジュブナイル小説として発表されたらしい。とすると、もっとぶっとんだ技術で時空を超えた戦いが描かれても決しておかしくはなかったはずだし、そういうハイライン作品もある。しかしそれをやらずに現実的なドラマの延長みたいなSFをちゃんと描いているところがこの作品の独自性であり、多くの読者が読みやすく共感しやすい点だと思う。
アメリカの青春小説としても教科書的?
これはついでだが、この小説は1950年代に書かれており、読んでいてとてもアメリカな風景やノリを感じる作品だった。2000年代という当時からすると近未来も描かれるのだが、未来都市な風景の描写はほとんどなく、むしろ少し鬱屈として殺伐とした仄暗い雰囲気。ワシントンや不景気のニューヨークみたいな印象を受ける。これは第二次世界大戦からその後も続いていく戦争の影響で、決して明るい雰囲気ではない時代を反映しているからかもしれないが、その中でポジティブな自分の未来を模索していく主人公の姿が光として投影されている感じだ。
弁護士や特許やらという資本主義的な悪との闘い。暗い時代(これは自分の内面を描いているともとらえられるが)をタイムトリップで抜け出そうという若々しさ。それらの舞台となる暗いアメリカの風景。(それほど重要じゃないけど)少し変わった恋愛模様など、総じて典型的なアメリカ青春小説の読後感があり、これも絵が浮かびやすくライトに楽しめる要素だった。
まとめ「SFハードル」を下げたことで今もSF読者を広げている名作
以上、あくまでも読書初心者のSF好き目線で考えてみたところである。
まとめ。『夏への扉』はSF力が溢れかえっていたであろう巨匠が、少年少女やSFファンタジー(昔はほぼ同ジャンルとして扱われていた)初心者にもっとSFを読んでほしい!と思って書いた作品だったと予測する。少なくとも現在はSFの入り口の役割を広く担っていることは間違いないと思う。
稚拙で読みやすく展開の早いライトなSF作品は多数ある。しかしサラッとした短編にすることもなく、その当時が伺えるリアリティを詰め込んで完成度の高いエンタメ作品になっているところがすごい。しかもSFの入門として「これなら読める」と多くの人が思える工夫を意図的に仕掛けて読ませる”力の抜け感”が巨匠たる力量だ。
次は厚め濃いめのハイライン作品を浴びて、ギャップも楽しんでみようと思う。
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