ゲームクリエイターで大の読書家でもある、小島秀夫監督が激推ししていたSFミステリー。
本物の元宇宙飛行士が書いた、アポロ時代の宇宙開発競争のifにミステリーを掛け合わせたかなり異質な作品で、宇宙飛行士の人柄や開発競争の舞台裏がリアルに垣間見える。
スリルあり、なるほどありの、とても満足度の高いエンタメ作品だった。
本物の宇宙飛行士だから書ける圧倒的リアリティ
あらすじ
1973年、アポロ18号の打ち上げを間近に控え、カズ・ゼメキスはヒューストンのNASA有人宇宙船センターに軍の連絡将校として着任する。宇宙飛行士候補だった彼には、特別な思いのある任務だ。最後の月着陸となる今回のミッションは、ソ連の軌道上偵察ステーションと月面探査車を対象とした軍事目的となる。だがその直前、事故が起きた―
Amazon.co.jpより抜粋
この本の作者クリス・ハドフィールド氏は、1992年から宇宙飛行士として活躍し、2012年には宇宙ステーションの船長も務めたという、筋金入りの宇宙のプロである。
そんな人物が文才を持ち合わせており、自分が活躍する少し前の時代の“あり得たかもしれない最後のアポロ計画”を描いたのが『アポロ18号の殺人』だ。
不慮の事故で宇宙飛行士への道を断念した元空軍パイロットのカズが主人公。4人の宇宙飛行士候補をサポートしながら、月面での探査任務を目指す。読者はそんなやや俯瞰の当事者目線で、アポロ計画を追っていくことになる。
初っ端のカズが操縦するパイロットの描写から、そのスピード感とリアリティに驚く。そのままNASAの施設や宇宙飛行士や開発基地の内部事情など、緻密に丁寧に描かれていくのだが、そのすべてが圧倒的にリアル。
1970年代にタイムスリップして、アポロ計画の続きを時代の空気感ごと味わえる。それだけでもサイエンスノンフィクションを読んでいるような興奮が味わえて楽しい。
そんな中、パイロット候補の一人が謎の事故で死亡。突如としてえミステリー的なストーリーが展開されていくのだが、ここでポイントとなってくるのが、米露の開発競争のもとで事件が起きていく、ということである。
アメリカ側とロシア側のふたつの目線で、開発競争と事件を追っていく。という複雑な構造がストーリーに厚みを持たせ、圧巻の読み応えになっていく。
米露の宇宙開発競争は、もはや戦争
現代でこそ国際間で平和に協業している宇宙開発だが、アポロ計画の当時は両国ともアグレッシブに世界初を争う、苛烈な競争状態だった。スパイ行動や破壊工作も当たり前。非人道的な手段で相手の開発を妨害するなど、今では考えられないような攻撃的でスピード感あふれる応酬が繰り広げられていた。
そんなところも作者にしかできないリアリティで詳細に描かれていて“そうなのか!”という驚きと“そんなことあり得る?”というワクワクなギモンの連続で、知的好奇心を大いにくすぐられる。
教科書やサイエンス本の知識だけでは見えてこない現場の雰囲気や、ものすごく勢いがあった時代のひりひりとする空気感が味わえるのも大きな魅力なのである。
宇宙開発黎明期のリアルと、国際間競争のリアル。これに米露を跨ぐ人間関係や、謎めいた事故、地球と宇宙をまたにかけたスリリングな冒険要素やバトル要素などがどんどん絡んできて、ものすごいストーリーのうねりが展開されていく。
知的好奇心と読書欲を満たす圧巻の宇宙へ
この圧倒的なリアリティで補強された、アイデアあふれるダイナミックな展開はシンプルなタイトルからはちょっと想像がつかない。
たしかにタイトルにある通り、ストーリーは「殺人」を軸にしている。殺人というからには誰かが“意図的に”仕組んだものであり、米露間の戦争じみた開発競争の中で、読者は誰も(主人公すらも)信用できない状態で、事件の真相とアポロ計画の行方の両方を追いかけることになる。
この誰が何者なの?が何重にも折り重なったままラストまでいく振り回され感は、きっとミステリー好きなひとにも満足してもらえるレベルだと思う。
中盤以降、当時の技術でこんなことあり得るのか?と思えるような、かなり飛躍したストーリーも展開される。しかしそこまでもそれ以降も、技術や設定まわりのことはしっかりリアルをキープしたままで展開する。技術的なフィクションが突然介入してくることはないので、安心して(?)ストーリーの飛躍にふりまわされることができる。
ネタバレせず全てを伝えるのは難しいが、リアリティを武器にしても、ただノンフィクションとミステリーをシンプルに掛け合わせただけでなく、何重にも読者を楽しませる工夫がたたみ込まれているのが、この本の、この作者のすごいところである。
読み終わった後は、地球の重力をひさびさに感じて立ち上がれない宇宙飛行士のように、ぐったりして「ただいま地球」という感想を持つことだろう。
みなさんも是非、過去と宇宙、二重の旅に出て圧倒的なエンタメの重力を感じてみてほしいと思う。
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